金瓜石は、かつて九份とともに金鉱で栄えた町です。
金を産出していた1930年代が黄金期で、1970-80年代には金鉱は閉鎖されたようです。
何をされた方だか存じ上げないのですが「三毛菊次郎宅」の玄関(跡)。
石畳といい、石橋といい、石門と言い、立派です
でも、中身は荒れ果てていて。
金山の斜面に貼付くように住んでいたのか、狭い階段が蟻の巣のようにはりめぐらせています。
赤い煉瓦づくりの塀など、当時の繁栄が偲ばれるのですが、部分的に崩壊しており。
閉山されてからの月日の流れを感じます。
ただ、こうした残されたものを「産業遺産」として残そう!という試みもあり「黄金博物圓区」として整備されています。
鉱夫さんたちが食べていたであろう「鉱山弁当」をいただくこともできます。
(テイクアウトして、瑞方→花蓮の電車の中でぱくつきました)
昔、金を運んだであろうトロッコの跡
本山五抗の入口。
金瓜石をずうっと見守ってきたであろう勧済堂
お祭りのようで、舞を見ることができました。
そして、この金瓜石には、第二次世界大戦中(1942年11月から1945年5月まで)に、俘虜の方たちの収容所がありました。
写真の石柱と壁は、俘虜収容所の入口でした。
金瓜石のみならず、他にも日本統治下の台湾には俘虜収容所があったようです。
そして、1,000人以上のイギリス軍や、連合国の方たちが、日本人にひどい扱いを受け、この収容所や、鉱山で命を落としたそうです。
金瓜石にきてはじめて、台湾に日本の俘虜収容所があったことを知りました。
右後ろの石碑には「○○○○ US」「XXXXX USA」といったおびただしい名前が刻まれていました。
日本人として、手を合わせ、ただただご冥福をお祈りするしかありません。
九份ではあれほど聴こえた日本語を、金瓜石では、耳にしなかったのが悲しいです。
せっかく九份まできたのなら、ちょっとだけ足をのばして、日本ゆかりの地を訪れてみては?
Jinguashi is a town that once flourished in the gold mine with Jiufen.
1930s has been producing the gold in the golden era, gold mine has been closed in 1970S-1980s.
It is sad not to hear Japanese in Jinguashi.
Let’s go Jinguashi if you come Jiufen.
2015年9月26日 September 26, 2015
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