戦没者の祈念碑に祈りをささげます

インドネシア(バリ島)観光 東南アジア/Southeast Asia

カリバタ英雄墓地で、インドネシア独立のために戦った元日本兵のお墓参り

投稿日:2018年11月9日 更新日:

東南アジアを旅する時には、日本ゆかりの場所を訪問するようにしています。
ジャカルタでは、カリバタ英雄墓地に眠る元日本兵たちのお墓参りをしてきました。

1.インドネシア(ジャカルタ)の英雄墓地に、どうして元日本兵のお墓があるの?

太平洋戦争当時、インドネシアは、オランダの植民地支配の圧政に苦しんでいました。
太平洋戦争勃発後、日本軍の攻略によって、1942年3月からインドネシアは、日本軍の占領下におかれることとなりました。
日本は1944年9月には将来の独立を認容する「小磯声明」を発表したものの、敗戦を受け、インドネシア独立の約束を果たすことはできなくなりました。

太平洋戦争終了後に、再植民地化のためにやってきたオランダとの間に、インドネシア独立戦争が起きます。
そして、インドネシア独立の果たせなかった約束を果たすために、あるいは成りゆきで、選択肢が他になく、生きるためになど、人の数だけのあるであろう理由で参戦した元日本兵がいました。

独立戦争で命を落とした元日本兵は、カリバタ英雄墓地をはじめ、各地の英雄墓地に葬られました。
また、戦後生き残った元日本兵も、インドネシア国籍を与えられたインドネシア人として、これらの墓地に埋葬される予定なのだそうです。

2.ジャカルタ中心部から、カリバタ英雄墓地への行き方

公共交通機関+徒歩でかんたんにアクセスできます。

5.Manggarai(マンガライ)駅でKereta Komuter(コミューター)のCentral Lineに乗換えてゴンダンディア駅へ
みんなのそらの宿泊先「コンコ ホステル (Konko Hostel)」から徒歩で

Komuter(コミューター)のCentral Line「ゴンダンディア駅(Gondangdia Station)」へ向かいました

▼コミューターの路線図
http://www.krl.co.id/
メニューの「Perjalanan KRL」をクリック

Bogor行きに乗車
約20分

「Duren Kalibata」駅に到着
「Duren Kalibata」駅に到着

徒歩10分ほど

カリバタ英雄墓地
カリバタ英雄墓地へ到着しました。

3.受付をしましょう。

カリバタ英雄墓地へきたものの、どこからはいるのでしょうか?ときょろきょろしていたところ
お掃除をしていた男のひとが、指さしで「あっちだよ」と教えてくれました。

大きな門の右側にある通路をはいり、受付を済ませます。
入場するには、記帳が必要!というのは、ボディランゲージで分かりました。

が、記載がインドネシア語のみで何をどう書けばよいのかわかりません。
係の方に、すがるような目をして、英語で「What's mean?(どのような意味でしょうか?)」と尋ねたですが、分かってもらえません。

他の方の書いた文言(インドネシア語のアルファベット、数字など)を見て
「たぶん住所」「きっとID(パスポートNO.)」などと判断をして、必要そうな部分を埋めまして。

「トゥリマカシ(ありがとう)」を微笑みかけ(笑って誤摩化す、とも)いれてもらうことに成功しましたヽ( ̄ー ̄ )ノ

4.戦没者の祈念碑に祈りをささげます

戦没者の祈念碑に祈りをささげます
まずは、祈念碑に手を合わせ、亡くなったすべての方のご冥福を祈ります。

5.元日本兵のお墓参り

駅から歩いてくるときに、カリバタ英雄墓地の大きさに圧倒され
「どうやって元日本兵のお墓を探すのでしょうか?」と不安になったのですが・・・

なぜか「あっちだ」とわかり、モニュメントの左(エリアGHIだったように記憶しています)に向かいました。
今思っても不思議なのですが「こちらが元日本兵のお墓」などの案内表示がないのに、あっさりとたどり着けました。

元日本兵の方たちに、よんでいただけたのかも知れません。

元日本兵のお墓参り
やまのごろう氏

元日本兵のお墓参り
えとうしちお氏

V
いしいよしなみ氏
元日本兵のお墓参り
こまつたかし氏
※漢字がわからないので、平仮名で表記しています

日本の名前のみならず、インドネシア名(イスラム名?)も併記されています。

みんなのそらは、インドネシア独立戦争で亡くなられた元日本兵が埋葬されている、と勘違いしていました。
独立戦争を生きながらえ、寿命を全うされたであろう方たちが多かったです。

独立戦争終結後しばらくして、現地逃亡元日本兵に日本への帰国の機会が与えられたが、帰国せずにそのまま残留した者も多かった。
なぜなら、日本政府からは「脱走兵」と見なされたため、軍人恩給は支給されず、その存在が日本国内に伝えられることも少なかった。
1970年代末になって軍人恩給に代わる一時金が支払われた。
倉沢愛子 『二十年目のインドネシア 日本とアジアの関係を考える』、草思社、1994年、162頁。
wikiインドネシア独立戦争、参照

「アジア諸国を植民地支配から解放する」が、太平洋戦争の大義名分だったように思います。
日本が敗戦によって果たせなくなってしまったインドネシア独立の約束を、(結果的に)果たすために戦った元日本兵を「脱走兵」扱いするのは、何だかな・・・

ただ、いつまでも「脱走兵」扱いのままだったわけではなく。
一時金が支払われたことで、名誉回復がなされた、とみなされたようです。

2015年に4月には、安倍首相もカリバタ英雄墓地を訪問されています。
https://www.google.com/search?q=%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%90%E3%82%BF%E5%A2%93%E5%9C%B0%E3%80%80%E5%AE%89%E5%80%8D%E9%A6%96%E7%9B%B8&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiEyKrmnsLeAhXEvrwKHQdrAhwQ_AUIECgD&biw=1718&bih=744

みんなのそらがお参りをしているときに、ロコの方たちに話しかけてもらえました。

今いるあたりを示して「ジャパン、ジャパン」
十字架があるお墓が集まっているあたりを指し「キリスト、キリスト」
イスラム教徒たちのお墓らしきエリアをさして「イスラム、イスラム」
そして、再び、今いるあたりを示して「ジャパン、ジャパン」
とおっしゃていました。

恐らく「元日本兵のお墓はここだけだよ。他は、キリスト教徒や、イスラム教徒のお墓だよ」と伝えてくれたのだと思います。

もしかすると「みんな元日本兵だよ。どうしてあなたは、一部のひとにのみしか祈りを捧げない?」だったのかも?と、あとから思いました。

wikiによると「27人の日本人戦没者が埋葬されている。」とされています。
「日本人(だった)」とわかる、お名前だったお墓は、5、6基だったように記憶しています。

日本に帰国し、本を読み気がつきました。

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「日本人(だった)」と分かる方以外のお墓は「墓碑記載名」が、インドネシア名になっていた元日本兵のお墓でしょう。
みんなのそらは、「日本人(だった)」とわかるお墓にのみ、手を合わせてきました。
ものすごく薄情なことをしたと、後悔をしています。

元日本兵たちは、どのような思いで、日本に帰らず、インドネシアで生き抜いてこられたのでしょうか?

ジャカルタを訪問したら、訪れることをおすすめします。

【地図】ジャカルタ・ジョクジャカルタ・ボロブドゥール

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