ペナン島の南東部にある「ペナン戦争博物館」を訪問しました。
1930年代にイギリスがマラッカ海峡からやってくる敵から、ペナン島を守るために砦を築きました。
そして、第二次世界大戦中には、日本軍の捕虜収容所として3年8ヶ月使われていたそうな。
日本の降伏から60年近く、忘れ去られ、ジャングルになっていた場所が、「博物館」として復元されました。
歴史は「his story」で、ひとの数だけ物語があるとは思います。
展示内容に「ん(ー”ー;)?」と思う部分があり、それも「his story」のひとつなのかも知れません。
率直な感想を綴ります。
さっそく「War Museum」に入場
マラヤの国境のチェックポイントを通過して
通路に展示されていたのが、この「KAMIKAZE JACKET(神風ジャケット、だと思う)」でして。
説明がこちら
神風ジャケットは、1941年12月10日に南シナ海で、英国軍の戦艦(プリンス・オブ・ウェールズ、レパルス)を撃沈するために、空軍の特攻隊(special corps in Japanese air force charged with the suicidal mission)によって使われた
※みんなのそら訳
恐らく、日本で「マレー沖海戦」とよばれている戦闘がベースになっていると思われます。
当時の日本には空軍はなく、海軍の航空部隊が参戦したようです。
開戦直後のこの時期に「特攻(suicidal mission)」的な攻撃をしたのでしょうか?
後ろに写っているのは、展示に説明がないのですが「銀輪隊」が使った自転車かしら?
トンネルの入口には、日本兵と英国兵が。
日の丸の扇子をもち、はにかんでいます。
中は、弾丸置き場だったようです。
3人組のロコさんたちが、脱出経路で記念撮影を楽しんでいました。
パネルの展示もありまして
夢も希望もあっただろう若者が
こうなってしまいました。
日本兵ではなく、英国兵が展示されていることに、マレーシアの方達(この博物館の創始者かも?)の姿勢を感じます。
山下奉文大将の処刑台のレプリカもありました。
「敵は海からくる」としか警戒していなかったのでしょう。
暗い気持ちを、なごませてくれるのが、こうしたお人形さんたちです。
辛辣な展示を、マイルドにするためなのでしょうか?
70数年の時を経て、ここが捕虜収容所だったとは思い難い、静けさに包まれています。
斧で斬首する習慣が日本にはない気が。。。
でも、日本語で「さようなら」って?
ギロチン
ここはスズキと言う名の有名な日本の死刑執行人が、戦争捕虜たちの首切りをした場所です。
古代のサムライの伝統を信じて、スズキは戦争捕虜たちの首切りをしたあとに、刀からしたたる血をワインボトルに入れました。
※みんなのそら訳
当時の日本兵に、戦地でワインを飲むなど優雅な習慣があったのでしょうか?
そばにあったのが、上の斧の展示と、こちらでした。
本間雅晴中将に関する展示がありました。
本間雅晴中将は、フィリピンでの作戦の責任者です。
第二次世界大戦後に「バターン死の行進」の責任をとらされ、銃殺刑になっています。
マレーシアの戦争博物館に、なぜ彼の展示があるのか?それも、けっこうなスペースを割いて、と不思議に思いました。
「死の行進」中のアメリカ軍
※みんなのそら訳
他のパネル展示は、日本に対して厳しいですが、本間雅晴中将に関する展示は、比較的同情的な印象を受けました。
直接、マレーシアと利害関係のない本間雅晴中将を、同情的な視点で描くことで、バランスをとろうとしているのかも知れません。
マレーの虎と銀輪隊なのでしょうが、解説がないので詳細はわかりません。
コンクリの建造物の上には、樹木が生えており、月日の流れを感じさせます。
「Japan “directed sex slavery”」
いわゆる従軍慰安婦でしょうが。。。
出口には
パーシバル中将と山下奉文大将からのメッセージがありました。
いくら、マレーシアのかたたち(創業者?)の「his story」にしても「ん?」と思う展示もあり。
姿勢がわかる展示もあり。
ゆるさとやさしさを感じる展示もあり。
植物の生命力に圧倒され。
とにかく、現場を訪ねることが大切なので、ペナン島へ行ったら訪問してみては?