さて、シンガポール旅も実質最終日を迎えました。
この日は、胸がキュンキュンする「プラナカン文化」を堪能しました。
旅してシェアしたいこと
1.プラナカンとは?
シンガポールは季節風のぶつかる場所にあります。
その季節風にのって、西はインド、東は中国から貿易商がやってきました。
季節風にのってやってきて、季節風にのっては帰っていき。
やがて、シンガポールに定着する方たちもでてきました。
15世紀にマレー諸島先住民と結婚した中国人やインド人移民の子孫のことを、誇りをもって「プラナカン(ここで生まれた、という意味)」と称します。
ただ「プラナカン」という言葉はあいまいでして。
大半を占めるのが中国にルーツをもつ方たちなので、プラナカン=マレー系+中国人の子孫で、中華系富裕層を表す言葉としても用いられているようです。
どこに行っても我が道を貫く(と、みんなのそらが思っている)中華系と、インド系の方たちが、他の文化と融和するって珍しいです。
2.プラナカン博物館で華やかな生活様式にうっとり
プラナカン博物館は、昔「道南学校」と言う福建人のための学校だった壮麗な建物を利用しています。
近くには、バトルボックスのあるフォートカニングがあります。
このかわいらしい建物が、戦闘に巻込まれずにすみよかったです。
文字の色まで、パステルカラー(* ̄ー ̄*)
みんなのそらが訪ねたときは、たまたま日本語ガイドツアーの日でした。
せっかくなので、ボランティアさんの解説にじっくり耳を傾けました。
優美な生活用品にうっとりしつつ、みんなのそらが一番気に入ったのがこちらの神様たち。
中華圏に行くと、よく見かける神様たちが、プラナカンの手にかかるとこんなにcuteになってしまうのです。
2015年3月に死去されたシンガポール建国の父 リー・クアンユー氏は、プラナカンでした。
英語で会話をする家庭に生まれ育ち、イギリスに留学した中華系富裕層でした。
ただ、リー・クアンユー氏自身は、そう公言したことはないそうです。
多民族の融和を目指したので、特定の出自「プラナカン≒中華系富裕層≒エリート層」と解釈されるのを嫌ったではないでしょうか?
リー・クアンユー氏(右側)と、妻:クワ・ゲオ・チュー氏のロイヤルハット。
リー・クアンユー氏(右側)と、クワ・ゲオ・チュー氏は、ともに弁護士でした。
クワ・ゲオ・チュー氏は、マレーシアとの水の交渉をするなど、実務面でもリー・クアンユー氏を支えました。
2015年3月にリー・クアンユー氏が死去したあとに、この展示をすることにしたそうな。
そんな感動的な日本語ガイドさんの話をききつつ
「リー・クアンユー氏、顔小さかったのですね( ̄□ ̄;)」
と変なところで感心したみんなのそらでした。
2-1.プラナカン博物館への行き方(アクセス)
電車
MRT「City Hall駅」「Bras Basah駅」から徒歩10分バス
7, 14, 16, 36, 77, 106, 111, 124, 128, 131, 147, 162,162M, 166, 167, 171, 174, 175, 190, 700, 700A and 857バス停「Singapore Management University」「School of Accountancy and Law」
▼Peranakan Museum
http://peranakanmuseum.org.sg/
3.カトンで、パステルカラーのショップハウスに胸キュン
ラッフルズ・プレイスの近くのバス停から「112カトンモール」を目指してバスに乗り40分ほどで到着しました。
シンガポールでは、Google先生をたよりに、バスを乗りこなせれば(suicaのようなカードを購入して)公共交通機関でたいていの場所へ行くことができます。
3-1.憧れのクーン・セン・ロード(Koon Seng Road)ショップハウスを外から見学
主に、中国の文化とマレーの文化が交わり、華やかなのにやわらかい色彩感覚になりました。
門柱のタイルが悶絶ものの美しさです。
門の上に象さんが。
インド系の方が住まれているのでしょうか?
観光客(みんなのそらも)が自撮りしても、気にせず歩く地元民。
ちなみに「ショップハウス」と言えど、人様が生活をしているおうちです。
暮している方の迷惑にならないように、節度のある観光をさせてもらいましょう。
3-2.Old Bibik’s Peranakan Kitchenで遅めのニュニャランチ♪
せっかくカトンにきたなら!と、プラナカン料理をいただくことに。
「Peranakan Kitchen」と名前がついていたので「Old Bibik’s Peranakan Kitchen」へ。
どれが「ニョニャ料理」なのだか分からず、それらしいセットメニューを注文しました(; ̄ー ̄A
おいしかったから、それでいいや。
▼Old Bibik’s Peranakan Kitchen
http://oldbibik.com/
3-2.112カトンモールで雨宿り
雨が降ってきたので、ショッピングモール「112カトンモール」で雨宿りをすることにしました。
ネクターさんでアサイーヨーグルトをいただくことに。
ネクターなのに、桃じゃありません。
雨がやむのを待ちつつ散策したところ、ホットヨガの「LAVA」さんの発見!
シンガポールのカトンに進出してたんだ。
写真でポーズを決めているインストラクターさんのレッスンを、みんなのそらは受けたことがあります。
シンガポールでお会いするなんて思っても見なかった。
話はそれますが、みんなのそらは、5年ほどLAVAさんに通い、今はCALDOに通っています。
▼112Katong
http://112katong.com.sg/
3-3.ルマー・ビビ(Rumah Bebe)でプラナカン雑貨をお買い物♪
雨がやんだので、プラナカン雑貨を見ようと「112カトンモール」の道向かいにあるルマー・ビビ(umahbebe)にやってきました。
プラナカンの方たちは、たいへん裕福なので生活雑貨は自分の好みのものをオーダーメイドします。
なので既製品の「プラナカン雑貨」は「プラナカン風の雑貨」なのかも知れません。
それでも充分素敵ですが。

店内は撮影禁止なのですが、湯飲み茶碗を購入したら写真を撮らせてもらえました(* ̄∇ ̄)ノ
目の保養によいお洋服や、サンダルもありますが(お値段を見ると目玉が飛び出ます)、お土産によいスイーツ用レンゲや湯のみ茶碗もあります。
胸キュンな雑貨に出会える可能性大です。
▼ルマー・ビビ(Rumah Bebe)
http://www.rumahbebe.com/
4.これもプラナカン?中華街の華麗な建物たち
何もカトンまで行かなくとも、チャイナタウン駅(MRTダウンタウン線/東北線)周辺にも、プラナカンの「ショップハウス」的な建物がたくさんあります。
みんなのそらが2泊した「カプセル ポッド ブティック ホステル (Capsule Pod Boutique Hostel)」もショップハウスですし。
たぶん「クラブストリート」のあたりも。
牛車水美食街のあたりや
チャイナタウン駅の出口のすぐそばも。
シンガポールの中華街は、赤×金でなくて「プラナカンの中華街」のような気がしました。
5.プラナカンと日本
のんきに「かわいい(* ̄ー ̄*)」と愛でてきた「プラナカン」ですが、日本との関わりもあります。
日本に帰ってきて本(プラナカン 東南アジアを動かす謎の民 [ 太田 泰彦 ])を読んで知りました。
とりわけ日本人が知っておいてほしいのは、1942年2月15日から1945年9月12日までの日本統治時代のことです。
日本は土地の有力者に資金供与を強要をしました。
大義名分としては、多くの華人が、義勇軍として英国軍とともに戦った償いなのだそうです。
日本軍の命令は無視できません。
一般的な華人は、労働者で貧しかったようです。
実業家が多く、比較的裕福だったプラナカンの方たちからお金を集めざるえません。
と言ったって、彼らのビジネスは戦争でとまっています。
銀行の口座は、日本軍によって凍結されており、手元に現金は多くはありません。
プラナカンの方たちは、美しい家財を、安い値で売り払わずえませんでした。
日本の資金供与のために、プラナカンの方たちは、財産を手放さざるえませんでした。
また日本は「好ましくない華人」を対象に粛正を行いました。
「好ましくない華人」とされたのは、下記の方たちです。
- 中国の国民政府に資金的支援をしていた方たち
- 抗日運動の指導者になりうる知識層
プラナカンの方たちは、自動的にこの分類にあてはまります。
多くのプラナカンの方たちの命が失われました。
その一方で、プラナカンの伝統のビーズ工芸教室の生徒さんは、ほぼ日本人だとか。
プラナカンを「かわいい」と愛でるのはよいです。
が、それを日本が破壊した事実も知っておきましょう。
6.「シンガポール好き女子が選ぶ!かわいいを満喫するツアー」もあるよ。
みんなのそらは、自力で観光しましたが、シンガポール好き女子さんが厳選してくれた「かわいいスポット」をまわるツアーもあります。
ガイドさんおすすめのスポットをまわるのも、楽しそうです(* ̄ー ̄*)
▼現地オプショナルツアー【VELTRA】
【VELTRA】シンガポール好き女子が選ぶ!かわいいを満喫するツアー