旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール

シンガポール観光 東南アジア/Southeast Asia

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール

投稿日:2018年2月4日 更新日:

みんなのそらは旅をするときに、観光地と一緒に、日本ゆかりの地、戦跡を訪ねるようにしています。
アジアの歴史を知ろうとすると、第二次世界大戦を避けて通ることはできません。
今回は、日本が第二次世界大戦中にシンガポールを占領したときにイギリスと合意文書を交わした「旧フォード工場」を博物館にした「Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation: War and its Legacies」を訪ねました。

1.旧フォード工場(Former Ford Factory)へのアクセス・注意点など

1.旧フォード工場(Former Ford Factory)へのアクセス

Googleマップで「Former Ford Factory」を検索し、バス停名と現在地を確認しておけば、たどりつけるでしょう。
MRTからバスに乗り換えるのがおすすめです。
みんなのそらは、マレー鉄道の線路跡にあるバス停から、Google先生に導いてもらいました。

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
バス停から「Former Ford Factory」へ向かう道。

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
この博物館は2017年2月15日(2月15日は、シンガポールで連合軍が日本軍に降伏した日で、シンガポールの「総国防日」となっています)にリニューアルオープンしました。
そのさいに、名称変更になっているのですが、ここに表示されている名前をみるかぎり「Former Ford Factory」のままですね。

▼アクセスの詳細はこちら
GETTING HERE
http://www.nas.gov.sg/formerfordfactory/visit-gettinghere

1-2.入場料の支払いは現金がNG!キャッシュカードやプリペイドカードを

入場料が3シンガポールドル、かかります。
※シンガポール国民、永住者などは無料※
そして、現金払いができませんでした(*ノ-;*)
みんなのそらは、キャッシュカード払いをしましたが、交通系のカードなどを準備しておきましょう。

1-3.館内は冷房が強烈。はおるものをもっていきましょう。

みんなのそらが「Former Ford Factory」を訪問したのは2017年12月4日で、それは日本軍がマレー半島北端に奇襲上陸した1941年12月8日に近い日程でした。
そのためか、次から次へと展示室にひとがはいっていき、ガイドさんの話を熱心にきいていました。

が、戦後日本軍が降伏し、英軍が戻ってきました!のあたりで人がいなくなり(苦笑)
「Political Awakening(政治的な目覚め:みんなのそら訳)」になると、みんなのそらしか展示室にいなくなり、長袖パーカー、丈の長いタイパンをはいていたのに、寒さに凍えつつ食い入るように展示をみていました。

カメラのレンズも冷えたのか、ここから徒歩13分くらいの「Bukit Batok WWII Memorial」の写真を撮るときにも、レンズが曇ったままでした。

2.旧フォード工場(Former Ford Factory)の展示内容について

受付をすましたあとに、スタッフさんが手招きをしているので、エントランスの外にでました。
「日本統治時代は食べ物がなかった。だから、あそこにあったタピオカを食べていたんだ」と教えてくれ。
そんなところから、展示をみていきました。

まだ消化しきれていませんが、みんなのそらが思ったことを書いていきます。

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
▲SURRENDER ROOM
この会議室で、英軍のパーシバル将軍は降伏をしました。

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
英語で、そのやりとりが示されています。
ただ、山下奉文将軍は通訳を介して交渉をしていたはずです。
しかも、あまり上手ではない通訳だったとか。
その通訳が訳したことが、山下奉文将軍の言ったこと、と記録されているのでしょうか?

そして、シンガポールは「昭南島」とよばれるようになりました。
英軍を攻め落としたのはよいものの、その後、マレー半島を円滑に統治する力は、日本にはなかったのでしょう。
旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
食糧不足と、食糧の急激な値上がりが起こり
「卵ひとかごがこんなに値上がりしました」の展示

「粛正」の展示もありました。
みんなのそらは、山下奉文将軍に興味をもち、何冊か本を読みました。
粛正は「中華系」の方たちに行われたと、思っていました。
ただ、シンガポール人にとっては、中華系であろうと、マレー系であろうと、民族に関わらず「シンガポール人」な訳で。
粛正は、シンガポール人に対して行われた、という認識のようでした。

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
いろいろなアジアの民族が仲よくしているチラシ(5)

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
キャプション(5)は「日本語を学ぶことをすすめるチラシ(みんなのそら訳)」
こうした「アジアの共存」といった大義名分を信じていた日本人はいたでしょう。
それだけに、切なく、何だか悲しくなりました。
旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
そして、広島、長崎に原爆が落とされ

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
日本は降伏しました。

「(シンガポールの)みんなが言った『ばかろー(Stupid)』」みんなのそら訳。

シンガポールは、イギリス統治下では、植民地支配されていたとは言え、命の危険がなく飢えることはなかったのでしょう。
そもそも、当時のシンガポールの方たちは植民地支配されていると思ってもおらず「そういうものだ」と日々を送っていたのかも知れません。

日本統治下では「粛正」によって命の危険にさらされ、食糧不足が続き。
日本は「アジア独立のため」戦っていたのかもしれませんが、シンガポールの方たちは独立したい!なんて思ってもいなかったのでは。

シンガポールの人口構成は、中華系74%,マレー系13%,インド系9%なので、中国よりの歴史観になっているかも知れません。
参照:シンガポール基礎データ | 外務省 - Ministry of Foreign Affairs of Japan

ここまで数日、シンガポールを旅していて「親日的」な印象を受けました。
それでも、日本統治下の評価は冷徹でして。
何をどうして「親日的」になってくれたのか、その道筋に興味をもちました。

▼公式サイト
http://www.nas.gov.sg/formerfordfactory

3.ブキバトの慰霊塔(Bukit Batok WWII Memorial)

ブキバトの慰霊塔(Bukit Batok WWII Memorial)
「Former Ford Factory」から13分(900m)くらいのところに「Bukit Batok WWII Memorial」があります。

ブキバトの慰霊塔(Bukit Batok WWII Memorial)
1942年に連合国軍捕虜たちに命じて「昭南忠霊塔」を建て、捕虜たちはその後ろに、英軍連合軍の戦士将兵を弔う十字架をたてたそうな。
「昭南忠霊塔」は1945年に、連合国軍がシンガポールに上陸する前に、日本軍によって取り壊されました。

今は「昭南忠霊塔」も「十字架」もありません。
この地で、命を落とした方たちに思いを馳せ、手を合わしてきました。

4.2017年2月のリニューアル後は「昭南ギャラリー 戦争とその遺産」になる予定でしたが・・・

シンガポールから日本に帰国し、この記事を書くにあたって、調べごとをしていて知りました。
2017年2月15日(それは降伏書にパーシバル将軍がサインをした日付)にリニューアルしたときには、この博物館は「Syonan Gallery: War and its Legacies」という名前でした。
ところが「昭南」の名は、痛みを呼び起こすということで「Surviving the Japanese Occupation: War and its Legacies.」と名称変更になりました。

みんなのそらが、シンガポールが「昭南島」だったことがあったのを知ったのは3年ほど前です。
「昭南島」を知らずに生きている日本人も多いのではないでしょうか?
それでも、未だに痛んでいるシンガポールの方たちはいらっしゃいます。

今生きている日本人の多くは「自分のやったことではない」のでしょう。
ただ、自分が生まれ育った国のやってきたことです。
せっかくシンガポールを訪問するなら、知ろうとする努力はしましょう。

▼日本占領時代の展示会、抗議受け名称変更 シンガポール(AFP)
http://www.afpbb.com/articles/-/3118389

▼名称変更のプレスリリース(Statement from Minister for Communications and Information)
Statement from Minister for Communications and Information on “Syonan Gallery: War and Its Legacies”

▼シンガポール首相:Lee Hsien Loong氏のfacebook
https://www.facebook.com/leehsienloong/posts/1371412596254776
寄せられたコメントを見ると、シンガポールの方たちの歴史感を垣間みることができます。

ただ、ホームページのタイトルは「Former Ford Factory」の旧名のままです。
http://www.nas.gov.sg/formerfordfactory
サイト内の表記は「Surviving the Japanese Occupation: War and its Legacies」になってます。

2017年12月に訪問したさいの看板の表記は「Former Ford Factory」のままでした。
そのうち変更するのかも知れませんが、訪問するさいには、そのつもりで目印を探してくださいませ。

5.シンガポール旅の地図

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