台中公園は、日本統治時代に作られた台中で最も歷史ある公園です。
日本統治時代の「台中神社」の一部が残っていると知り、訪れることにしました(* ̄∇ ̄)ノ
1.台中神社の名残。鳥居・石塔など
台中公園は、日本統治時代に作られた台中で最も歷史ある公園です。
そして、日本統治時代の「台中神社」の一部が残っています。
石でできた鳥居が、倒されたカタチで残っています。
文字の配置からして、元からあった鳥居をそのまま倒したのではなく、何かしろの切り貼りをしたのかも知れません。
正面(煉瓦造りの門の右側)参道であったと思われる道があります。
歩いていくと
奉納した日本人名、会社名の刻まれた石塔の土台部分には、赤いペンキで文字が描かれていました。
ネットで検索して調べたところ、下記の14文字のいづれかのようです。
三角龍認賊做父愧對先人天不容
三角龍認賊作父愧對先人天不容
三角龍認賊做父 愧對先人天不容
三腳龍認賊作父愧對先人天不容
Google翻訳で和訳すると「反日的な内容」に思えます。
みんなのそらが、台中公園を訪問したのは2017年9月18日です。
1931年のその日に「柳条湖事件」が起き、中国では「国恥記念日」とされています。
その日に訴えたい何かがあったのでしょう。
でも、それは中国の歴史であって、台湾の歴史ではない気も。。。
▼2016年9月18日には、鳥居に(自由時報さん)
台中公園鳥居 被人噴寫「抗日尚未成功」
▼2017年は、石塔の土台に(総合新聞網さん)
台中公園神社石燈籠被潑紅漆 塗鴉者寫14字洩憤
記事の中に「以高壓水柱清洗到19日凌晨3點左右處理完畢,恢復原貌」とあるので、翌日にはお掃除をして、元に戻してくれたようです。
たいへん親日的な印象を受ける台湾の方たちの中にも、こうした方がいらっしゃることを知っておきましょう。
「※」の装飾が微笑ましい橋をわたると
狛犬や神馬の銅像があり
本殿があったあろう場所には、孔子翁(至聖先師)がいらっしゃいました。
どうして孔子翁なのか?
分かろうとする努力を放棄しちゃいけない。
2.台中公園をのんびり散策
台中神社跡のお隣にある建造物は「更楼」と言い外敵を見張る塔だとか。
このような優雅な塔で、見張り番をするなんて、どのような気分だったのでしょうか?
おっきな羊さん
台湾ランタンフェスティバルのとき、台中市がメイン会場となりました。
そのときに羊年だったので、この羊さんが作られたんだってさ。
「砲台山」とよばれる小高い丘の上には
「抗日忠勇将士民衆紀念碑」と、お昼寝しているおじさま(苦笑)。
台湾では、ぎょっとΣ( ̄。 ̄ノ)ノするような場所(道ばただとか、店先だとか)で、おじさまたちがお昼寝をしています。
それだけ治安がよい、という事でしょう。
こちらの石塔は、1935年に建てられたラジオ放送用の拡声器です。
「なぜ、拡声器がこのカタチ!?」という疑問は横におきました。
考えたって、わかりませんもの。
3.台中の象徴!湖心亭
太鼓橋を渡り、台中の象徴!湖心亭へ。
湖心亭は、縦貫鉄路の全線開通を記念し、1908年に建てられ、1999年市定旧跡に指定されました。
入口の上や、横の窓枠が優雅です。
湖心亭から、池を眺めるのもよいでしょう。
噴水と湖心亭
台中公園を散策するだけで、台湾と中国と日本について考えさせられました。
台中を訪れる機会があれば、1時間20分くらいの「歴史トリップ」を楽しみましょう。