「バタアン死の行進」の跡(フィリピン)/”Death Marth”(Philippines)

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※日本だと「バターン」と発音+表記するのですが、現地の方の発音が「バタアン」だったので「バタアン」と表記しています
※「バターン半島」への道をきいたところ「日本で8年間働いていたんだ」という方に「『バターン』と言っても、フィリピン人はわからないからww『バタアン』って言うんだよ。」と教えていただきました。

「戦跡めぐり」が旅の目的ではなく、自分が行きたいエリアの周辺や、途中に「戦跡」「慰霊碑」「祈念碑」があります。
人類、どれだけ戦ってきたのでしょうか(*ノ-;*)

日本人が関係している「戦跡」があれば、なるべくたちよって、犠牲になったすべての方のために、手を合わせるようにしています。

今回も、空港のあるマニラからライステラス(棚田)のあるバナウエに行くとして、途中に何があるのさ?と地図を眺めていたら「バタアン半島」が目につきまして。

「バタアン半島」と言えば「バタアン死の行進」があった場所です。
恥ずかしいお話ですが「バタアン半島」が、フィリピンにある!と、今回はじめて知りました。

きちんと知りたかったので、レンタルバイクで「バタアン死の行進」の跡の一部を訪ねてきました。

「バタアン死の行進」については諸説あります。
地球の歩き方 フィリピン(2015〜2016年)」にのっていた内容と、自分のみてきたものを優先しました。

そもそも「バタアン死の行進」は、第二次世界大戦中に起きた悲劇です。
1942年4月9日に日本軍はバタアン半島を占領しました。
投降した米比軍人の数は、日本軍の想定をはるかに上回っていました。

基地のあるターラック洲(フィリピーナ曰く「タルラアク」)に護送するため、バターン半島南のマリベレスと、西のバガックから、パンパンガ洲サンフェルナンドまで捕虜の半数以上を徒歩で行軍させました。

結果として、マラリアや赤痢などが蔓延した上、炎天下の行軍により多くの捕虜が命を落とした、と言われています。
これが「バタアン死の行進」とされるものです。

ちなみに、青いラインが自分がはしった部分です。
当初、マリベレスまで行きバタアン半島の南部分を一周しよう、と計画をしておりましたが、台風で挫折しました(ー’`ー;)

何はともあれ、バガック/Bagacにあった「バガック0キロポスト(0km.Death March Marker)」。

バガック0キロポスト(0km.Death March Marker)

このように、1キロごとに「距離碑」がたっています
※すべての距離碑を確認したわけではありません

ジャパニーズ・フレンドシップ・タワー

「バガック0キロポスト」から、ほど近い場所には「ジャパニーズ・フレンドシップ・タワー(現地の方は、たんに「フレンドシップ・タワー」とおっしゃってました)」が。
日比の友好と平和を願い、日本の宗教団体と、地元の青年団の方が建てたもののようです。

フィリピンの方たちに、多大な犠牲を払わせた「アメリカの慰霊碑」と「日本の慰霊碑」を受け入れているのが、フィリピンの寛容さな気がします。

「バタアン死の行進」の跡

昔はどうだったか?など知る術はないのですが、今はのどかな田園地帯が広がっています

「バタアン死の行進」の跡

トライシクルやジプニーがはしっていて、今ではフィリピーナたちの生活道路です。

「バタアン死の行進」の跡

トラックの荷台で、ひとを運んだり、バイクの多人数乗りなど、ルールや安全性はともかく、実利を重視する率直さが大好き(* ̄ー ̄*)

モニュメント(First Defense Monument)

ラヤックにたっていたモニュメント(First Defense Monument)

モニュメント(DEATH MARCH MONUMENT SHAINE)

サンフェルナンドを北に超えて、タルラアク(タルラーク)に行く途中にも、モニュメント(DEATH MARCH MONUMENT SHAINE)が建っていました。
近所の子供たち(たぶん)が、元気いっぱい遊んでた。

悲惨なことのあった道路も、今は、フィリピーナの生活の場になっていました。
あるべき姿に戻った、のでしょう。

Many people were seem to fall victim “Bataan Death March” during the Second World War.
The misery road had become the place of the life of Filipina.
I wonder it was back to the way it should be.

2015年7月6日/7日 July 6,7 2015

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One thought on “「バタアン死の行進」の跡(フィリピン)/”Death Marth”(Philippines)

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