旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール

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みんなのそらは旅をするときに、観光地と一緒に、日本ゆかりの地、戦跡を訪ねるようにしています。
アジアの歴史を知ろうとすると、第二次世界大戦を避けて通ることはできません。
今回は、日本が第二次世界大戦中にシンガポールを占領したときにイギリスと合意文書を交わした「旧フォード工場」を博物館にした「Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation: War and its Legacies」を訪ねました。




1.旧フォード工場(Former Ford Factory)へのアクセス・注意点など

2.旧フォード工場(Former Ford Factory)の展示内容について

3.ブキバトの慰霊塔(Bukit Batok WWII Memorial)

4.2017年2月のリニューアル後は「昭南ギャラリー 戦争とその遺産」になる予定でしたが・・・

5.シンガポール旅の地図


1.旧フォード工場(Former Ford Factory)へのアクセス・注意点など

1.旧フォード工場(Former Ford Factory)へのアクセス

Googleマップで「Former Ford Factory」を検索し、バス停名と現在地を確認しておけば、たどりつけるでしょう。
MRTからバスに乗り換えるのがおすすめです。
みんなのそらは、マレー鉄道の線路跡にあるバス停から、Google先生に導いてもらいました。

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
バス停から「Former Ford Factory」へ向かう道。

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
この博物館は2017年2月15日(2月15日は、シンガポールで連合軍が日本軍に降伏した日で、シンガポールの「総国防日」となっています)にリニューアルオープンしました。
そのさいに、名称変更になっているのですが、ここに表示されている名前をみるかぎり「Former Ford Factory」のままですね。

▼アクセスの詳細はこちら
GETTING HERE
http://www.nas.gov.sg/formerfordfactory/visit-gettinghere

1-2.入場料の支払いは現金がNG!キャッシュカードやプリペイドカードを

入場料が3シンガポールドル、かかります。
※シンガポール国民、永住者などは無料※
そして、現金払いができませんでした(*ノ-;*)
みんなのそらは、キャッシュカード払いをしましたが、交通系のカードなどを準備しておきましょう。

1-3.館内は冷房が強烈。はおるものをもっていきましょう。

みんなのそらが「Former Ford Factory」を訪問したのは2017年12月4日で、それは日本軍がマレー半島北端に奇襲上陸した1941年12月8日に近い日程でした。
そのためか、次から次へと展示室にひとがはいっていき、ガイドさんの話を熱心にきいていました。

が、戦後日本軍が降伏し、英軍が戻ってきました!のあたりで人がいなくなり(苦笑)
「Political Awakening(政治的な目覚め:みんなのそら訳)」になると、みんなのそらしか展示室にいなくなり、長袖パーカー、丈の長いタイパンをはいていたのに、寒さに凍えつつ食い入るように展示をみていました。

カメラのレンズも冷えたのか、ここから徒歩13分くらいの「Bukit Batok WWII Memorial」の写真を撮るときにも、レンズが曇ったままでした。

2.旧フォード工場(Former Ford Factory)の展示内容について

受付をすましたあとに、スタッフさんが手招きをしているので、エントランスの外にでました。
「日本統治時代は食べ物がなかった。だから、あそこにあったタピオカを食べていたんだ」と教えてくれ。
そんなところから、展示をみていきました。

まだ消化しきれていませんが、みんなのそらが思ったことを書いていきます。

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
▲SURRENDER ROOM
この会議室で、英軍のパーシバル将軍は降伏をしました。

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
英語で、そのやりとりが示されています。
ただ、山下奉文将軍は通訳を介して交渉をしていたはずです。
しかも、あまり上手ではない通訳だったとか。
その通訳が訳したことが、山下奉文将軍の言ったこと、と記録されているのでしょうか?

そして、シンガポールは「昭南島」とよばれるようになりました。
英軍を攻め落としたのはよいものの、その後、マレー半島を円滑に統治する力は、日本にはなかったのでしょう。
旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
食糧不足と、食糧の急激な値上がりが起こり
「卵ひとかごがこんなに値上がりしました」の展示

「粛正」の展示もありました。
みんなのそらは、山下奉文将軍に興味をもち、何冊か本を読みました。
粛正は「中華系」の方たちに行われたと、思っていました。
ただ、シンガポール人にとっては、中華系であろうと、マレー系であろうと、民族に関わらず「シンガポール人」な訳で。
粛正は、シンガポール人に対して行われた、という認識のようでした。

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
いろいろなアジアの民族が仲よくしているチラシ(5)

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
キャプション(5)は「日本語を学ぶことをすすめるチラシ(みんなのそら訳)」
こうした「アジアの共存」といった大義名分を信じていた日本人はいたでしょう。
それだけに、切なく、何だか悲しくなりました。
旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
そして、広島、長崎に原爆が落とされ

旧フォード工場(Former Ford Factory/Surviving the Japanese Occupation)シンガポール
日本は降伏しました。

「(シンガポールの)みんなが言った『ばかろー(Stupid)』」みんなのそら訳。

シンガポールは、イギリス統治下では、植民地支配されていたとは言え、命の危険がなく飢えることはなかったのでしょう。
そもそも、当時のシンガポールの方たちは植民地支配されていると思ってもおらず「そういうものだ」と日々を送っていたのかも知れません。

日本統治下では「粛正」によって命の危険にさらされ、食糧不足が続き。
日本は「アジア独立のため」戦っていたのかもしれませんが、シンガポールの方たちは独立したい!なんて思ってもいなかったのでは。

シンガポールの人口構成は、中華系74%,マレー系13%,インド系9%なので、中国よりの歴史観になっているかも知れません。
参照:シンガポール基礎データ | 外務省 – Ministry of Foreign Affairs of Japan

ここまで数日、シンガポールを旅していて「親日的」な印象を受けました。
それでも、日本統治下の評価は冷徹でして。
何をどうして「親日的」になってくれたのか、その道筋に興味をもちました。

▼公式サイト
http://www.nas.gov.sg/formerfordfactory

3.ブキバトの慰霊塔(Bukit Batok WWII Memorial)

ブキバトの慰霊塔(Bukit Batok WWII Memorial)
「Former Ford Factory」から13分(900m)くらいのところに「Bukit Batok WWII Memorial」があります。

ブキバトの慰霊塔(Bukit Batok WWII Memorial)
1942年に連合国軍捕虜たちに命じて「昭南忠霊塔」を建て、捕虜たちはその後ろに、英軍連合軍の戦士将兵を弔う十字架をたてたそうな。
「昭南忠霊塔」は1945年に、連合国軍がシンガポールに上陸する前に、日本軍によって取り壊されました。

今は「昭南忠霊塔」も「十字架」もありません。
この地で、命を落とした方たちに思いを馳せ、手を合わしてきました。

4.2017年2月のリニューアル後は「昭南ギャラリー 戦争とその遺産」になる予定でしたが・・・

シンガポールから日本に帰国し、この記事を書くにあたって、調べごとをしていて知りました。
2017年2月15日(それは降伏書にパーシバル将軍がサインをした日付)にリニューアルしたときには、この博物館は「Syonan Gallery: War and its Legacies」という名前でした。
ところが「昭南」の名は、痛みを呼び起こすということで「Surviving the Japanese Occupation: War and its Legacies.」と名称変更になりました。

みんなのそらが、シンガポールが「昭南島」だったことがあったのを知ったのは3年ほど前です。
「昭南島」を知らずに生きている日本人も多いのではないでしょうか?
それでも、未だに痛んでいるシンガポールの方たちはいらっしゃいます。

今生きている日本人の多くは「自分のやったことではない」のでしょう。
ただ、自分が生まれ育った国のやってきたことです。
せっかくシンガポールを訪問するなら、知ろうとする努力はしましょう。

▼日本占領時代の展示会、抗議受け名称変更 シンガポール(AFP)
http://www.afpbb.com/articles/-/3118389

▼名称変更のプレスリリース(Statement from Minister for Communications and Information)
Statement from Minister for Communications and Information on “Syonan Gallery: War and Its Legacies”

▼シンガポール首相:Lee Hsien Loong氏のfacebook
https://www.facebook.com/leehsienloong/posts/1371412596254776
寄せられたコメントを見ると、シンガポールの方たちの歴史感を垣間みることができます。

ただ、ホームページのタイトルは「Former Ford Factory」の旧名のままです。
http://www.nas.gov.sg/formerfordfactory
サイト内の表記は「Surviving the Japanese Occupation: War and its Legacies」になってます。

2017年12月に訪問したさいの看板の表記は「Former Ford Factory」のままでした。
そのうち変更するのかも知れませんが、訪問するさいには、そのつもりで目印を探してくださいませ。

5.シンガポール旅の地図

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