林森公園の鳥居で、台湾と日本の歴史に触れる⇔珍名所も(台湾)

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台北で、1、2を争う観光スポット!艋舺「龍山寺」、そこから徒歩10分ほどの「清時代のレトロな街並!剥皮寮歴史街区」を訪ずれました。
次は、日本人ゆかりの地「林森公園」を目指します( ̄Д ̄)ノ




1.バスに乗車したら「パンダさん」がいっぱいでした。

2.林森公園の鳥居で、台湾と日本の歴史に触れる

3.台北の珍名所!傾いたポスト


1.バスに乗車したら「パンダさん」がいっぱいでした。

「剥皮寮歴史街区」をあとにし、鳥居がある「林森公園 」へ、Google先生のお導きによりバスで向かいます。

林森公園の鳥居で、台湾と日本の歴史に触れる⇔珍名所も(台湾)
バスに乗ってびっくりΣ( ̄。 ̄ノ)ノ何と!パンダさんがいっぱいでした

林森公園の鳥居で、台湾と日本の歴史に触れる⇔珍名所も(台湾)
こんなところや

林森公園の鳥居で、台湾と日本の歴史に触れる⇔珍名所も(台湾)
パンダさんは、笹が好物だと思っていました。
でも、タケノコや、キノコも好きなんだ!と、新しい知識が増えました(* ̄∇ ̄*)

いつも、どの路線を走っているのか?わかりませんが、運がよければ「パンダバス」に乗車できるかも知れません。

2.林森公園の鳥居で、台湾と日本の歴史に触れる

林森公園の鳥居で、台湾と日本の歴史に触れる⇔珍名所も(台湾)
名残惜しかったのですが、パンダバスに別れを告げ「林森公園」へ、やってきました。
日本統治時代のゆかりの「鳥居」があると、きいたからです。

日本統治時代に、このあたりは「日本人専用墓」になり、1900年には正式に「共同墓地」になったそうな。
そこには、第7代総督:明石元二郎と、その秘書官であった鎌田正成のお墓がありました。
この鳥居たちは、お墓についていたものなのです。

「お墓と鳥居」が、今の日本人としては、結びつきがたいので、補足します。
1930年、日本統治時代の台湾で起こった先住民セデック族による抗日暴動・霧社事件を描いた台湾映画「セデック・バレ(2011年公開)」にヒントがありまして。
当時のセデック族は「セディック族は、死んだら虹の橋を渡って、祖先の家にいく」「日本人は、鳥居をくぐって神社にはいる」という認識があったようです。
だから、鳥居とお墓が「ひとまとまり」なのでしょう。
セディック族の方たちと、台北の方たちの違いはあるかもしれませんが。
明石元二郎氏が福岡で没したのが1919年10月なので、年代的には「同時代」と言ってよいでしょう。

林森公園の鳥居で、台湾と日本の歴史に触れる⇔珍名所も(台湾)
明石元二郎氏は、日露戦争前後に諜報活動を行い、勝利に陰ながら貢献をした、と言われています。
台湾第7代総督になってからも、日本人と台湾人が均等に教育を受けられるよう法を改正したり、さまざまな政策を実施しました。

そして、ご自身の希望で遺言を残し、わざわざ遺骨が福岡から運ばれ、台湾の地に骨を埋めました。

戦後、このあたりは、中国から渡ってきた方たちの違法住宅が集まりました。
1997年に台北市政府が公園を整地するさいに、お墓は台北市内のキリスト教に改葬されました。
ふたつの鳥居も、一時は二二八公園に遷されましたが、歴史を印すものとして2010年10月に戻されたそうな。

林森公園の鳥居で、台湾と日本の歴史に触れる⇔珍名所も(台湾)
「公園にあるふたつの鳥居」から、台湾と日本の歴史の一部が浮かび上がってきます。
台湾では、今まで知らなかった「日本」とであうことができます。

3.台北の珍名所!傾いたポスト

林森公園の鳥居で、台湾と日本の歴史に触れる⇔珍名所も(台湾)
そこから20分くらい歩いて、台北の珍名所「歪腰郵筒」「微笑萌郵筒」に。
台風で仲よく傾いたポストが「観光スポット」になりました。
「萌えポスト」とも言うらしい(; ̄ー ̄A

4.【ざっくり地図】台北・台中観光

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